石橋 英生Hideo Ishibashi

沿革

2001年 専修大学 卒業

2003年 人材派遣会社 入社

2007年 同社取締役 就任

2011年 ペンギン社労士事務所 設立

派遣社員から派遣会社役員へ

大学卒業後、就職するも「やりたかった仕事と違う」という若者らしい理由を武器に入社3ヶ月で退職。
ゆとり世代の先駆けとなる。

その後、大学時代に取得したIT系の資格を活かす為、派遣社員として大手IT企業に入社。

前職の仕事とは打って変わって仕事のやりがい・楽しさを実感し、仕事に没頭。

新設で当初10名程度のチームであったが、入社半年程でチームリーダーとなり、他部署・関連会社との折衝をする傍ら、新人教育を任されるようになる。

年上の部下がほとんどの中、悪戦苦闘しながらも育成・教育の難しさ大切さを学ぶ。

そんな充実した毎日を送っていたある日、同企業に派遣をしている別のA派遣会社から、今度、SI系の新会社を作るのでそこで働いてみないか?とヘッドハンティングを受ける。

社長と私という2人体制で新会社は始まるが、今度は入社3ヶ月でまさかの会社解散。

理由は大人の事情。

不憫に思った親会社であるA派遣会社に営業職として引き取られる。

新卒で就職した会社でのトラウマから営業職だけは絶対やらないと堅く決めていたので腰掛け気分で仕事を始めるが、「灰皿が飛んでこない」「●●されない」こんな営業部もあるのだと気付かされ、企業風土の大切さを目の当たりにし、少しだけやる気を出す。

自分が派遣社員であった経験や同世代の人材を採用する事などの要因が上手くハマったのか、営業成績はぐんぐん伸び、入社5年目・28歳で営業部取締役に就任。

その後、リーマンショックの影響を多少受けるも、売上は常に右肩上がりをキープし、派遣求人媒体の会社から講演依頼を受けることも。

時をほぼ同じくして、大変お世話になった事務職のおばちゃんが退職することに。

その別れ際、「あなたは社労士を取りなさい」との言葉を残して会社を去られる。

これもおばちゃんへの恩返しだと決意し、受験勉強を開始。

大変際どい不合格(見栄。)が続くなか、3度目の受験でようやく念願の合格を果たし、早速、前述のおばちゃんに合格の連絡をし喜びを分かち合うも、お鍋に火を掛けっぱなしという理由で割とあっさり電話を切られる。

社労士事務所を設立へ

なんとか会社を説得し、派遣会社役員と兼業する形で社労士事務所を開業。

二足のわらじをスタートさせる。

それから時は経ち、2012年。

取締役を辞任し社労士として完全に独立した現在では、今までの経験を活かし、 派遣会社特有の労使トラブルの解決やコンプライアンス管理、従業員が辞めない組織設計、採用改革など、日本全国、人材サービス会社様を中心に企業基盤強化の支援を行う。